お茶のこと

ある冊子に、お茶のことを、生意気にも書かしていただいております。その一部をこの場に載せさせていただきます。

 お茶が中国から伝来して何年になるでしょうか。日本独特な文化となりました。はじめ、お茶はいわゆる”薬”として考えられ飲用されて来ました。私はそう教えられて来ましたが、それが、次第に嗜好品?に変わっていきました。お茶の産地を当てる?闘茶、茶会が開かれるようになった訳です。そして、煎茶の飲用が始まりますと、手軽さと言えば叱られそうですが、その手軽さがマッチしたのか、その他の理由のためか、とにかく急速に普及して現在に至っている訳です。

日本はどこよりも衛生的な国でした。”食べ合わせ”などは鎌倉時代に出来たと聞いております。”食べ合わせ”だけをみますと”迷信”が多くありますが、これが載っている書物には、現在でも有用な事柄がそれ以上に載っているそうです。たとえば、ネズミの食べたものは食べてはいけない、とか、夏場に汲み置きの水を飲んではいけない等公衆衛生思想もかなり進んでいた訳です。なによりも”刺し身”のような”生物”を食べることが出来たことが、日本が、如何に衛生的?であったか判ります。

日本では、極論すると、”無味、無臭、無色”が最もいいものと言われています。これは”水”のおいしさであります。なにやら禅問答ではありませんが、かぎりなく味が無く、えもいわれぬ深みがあり、水のおいしさが分かるお茶が最もおいしいお茶だ とお聞きしたことがあります。

水のおいしかった!日本にお茶が普及したのは、当然だったことでしょう。そして、私たちがお茶を飲む、最も多い機会は食事のときと思います。私など、普段はお茶をあまり飲まないのに、食事のときには絶対にお茶が必要です。私たちにとって、お茶を子供の頃から飲んでいると、お茶があたかも、水や空気のように当然あるものだと、当然飲ましてくれるものだと思ってしまっています。(このことは、お茶は無料でだしてくれるものだと思わせてしまいます)お茶は生活の一部になっていたのです。つまり、お茶は”薬”から”嗜好品”に、そして”嗜好品”以上に私たち日本人の生活文化の無くてはならない一部となって来た訳です。

ところが、どうも最近なんとなくではありますが、事情が違ってきたようです。現在の日本の食生活が、以前と違ってきていることです。朝食ひとつとっても、ご飯、みそ汁の生活から、トースト、コーヒーの生活が意外に多くなっていることです。食生活の多様化です。こうなると、お茶がコーヒーの類と同じようになってしまいます。生活の大事な一部からの脱落の兆しにもなりかねません。

水のおいしさが、大切な役割をしめると思うお茶の飲用にたいして、(コーヒー党には叱られますが)コーヒーなどそれほど水のおいしさを求めないものに、段々取って代わられるのではないかとさえ思うことがあります。

こう言う事を、生意気にも書かせていただいているにもかかわらず、どんなお茶がおいしいのか、実は全く知らない私です。昨年じっこんにさせていただいてる方々と、宇治に旅行させていただきました。お茶を求めにさるお茶やさんに入りました時、だしてくださったお茶大変おいしく思いました。静岡のお茶やさんでもそうでした。お茶の入れ方とともに、お茶を再認識しました。

ところで、旅に出て、お茶を求めるのに、その土地のお茶を指定して買い求めます。ところが、普段は、どこの土地でとれたお茶かは聞きもせず、100グラム幾らのお茶だとおいしい とか値段できめて買い求めるのです。私だけでしょうか。あそこのお茶やさんのはおいしくないよ、あっちのお茶やさんの方がおいしいよ とよく聞きます。考えてみれば、お茶やさんにたいして失礼なことです。たまたま自分の口にあわなかったに過ぎないのに違いありませんのに。

私たちは、ただ行きつけのお茶やさんの勧めるお茶を買ってのんでいるだけで、まあ、それで大体間違いないのですが、そのお茶が単独の産地のものか、或いは色々な所のお茶をブレンドしたものか知りません。また知ろうともしません。お茶が生活の一部であったとき、単に自分たちの口にあったものを使ってれば良かったのでした。もし”嗜好品”としてお茶を考えるようになったとき、自分だけのお茶も求められる様になるのではないでしょうか。インターネットを見ていますと、ブレンド用にと色々の産地のお茶を売っているところがありました。まだまだではあるでしょうが、ちょっと面白く思いました。この動き一般化するかどうか、注目しています。



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