"山葵”

“山葵”も又静岡の名産です。現在いろいろなお店が山葵漬けをつくっておりますが、最初につくられたのは静岡の田尻屋さんとのことです。山葵の茎をさっと湯通しして三杯酢に漬け込んだ伊豆地方の“さんばい”は、最近どこでも販売されるようになりました。徳川家の紋は葵ですが、葵の葉より山葵の葉の方が似ていると思いますがいかがですか。

”久能山と鉄舟寺"

ところで静岡には徳川にゆかりのあるものが沢山あります。その一つ久能山東照宮は、清水市と静岡市の間にあり、眺望の素晴らしい日本平からロープウエイで行けますが、神君家康が葬られております。その権現造りは規模からいえば日光にかないませんが、国宝になるだけあって日光以上と言えるかも知れません。“一富士,二鷹、三茄子”は、初夢に見たら縁起がよいといわれますが、これは神君が江戸から駿府に隠居するにあたって、反対する側室女性達に諭して言った事からきております。“お前たちは、せっかくにぎやかになった江戸から田舎の駿府に行くのは嫌いと言うが、駿河の国には、日本一の富士山があるではないか、私が鷹狩の好きなこと誰だって知っているではないか、四月になると茄子が送られて来るではないか。そんな気候のよいところだから,ついてくるように。”とか言ったことからきているのです。三以下続くものも流布していますが、それはすべて駿河の名物になっています。

久能山は平安の時代から久能寺と言ってとてつもなく大きな寺院でした。源義経が例の五條の橋の上で吹いた笛は、義経からこの寺に奉納されたと言われています。この久能寺は戦国の世になって、武田氏が出城をつくるにあたって麓に移されてしまいました。現在の鉄舟寺です。義経の例の笛も伝えられ、その笛での演奏を聞くことができます。 鉄舟寺は、今は臨済宗の寺ですが、あれはてていた久能寺を幕末の三舟の一人、山岡鉄舟が再興したことで鉄舟寺と言うようになりました。ここには久能寺経が残っており国宝に指定されております。

"清水次郎長のこと”

最近は、段々知る人も少なくなりました清水の次郎長さんは、この鉄舟に可愛がれ、鉄舟の使い走りをしていたようです。

次郎長さんは、広沢虎造の浪曲で一躍有名になって海道一の大親分になりましたが、実は本当の大親分は安藤文吉と言う親分でした。次郎長さんは、だからそんなに強いやくざではなかったかもしれません。私どもの玉川楼のあるところは、(創業当時の玉川楼は川向こうにありました) 昔は畑だったらしく、そこに農道がとうっていたのですが、そこで江尻の宿から自宅に帰る次郎長さんが、江尻の宿の若い衆に襲われて半殺しの目に遭い、以来次郎長さんは決して一人では歩かなかったそうです。

次郎長さんには子供がなく、大政、小政が養子格のようですが、もう一人天田五郎という人がおりました。維新の動乱で親と別れ、清水まで親を探しにきて、次郎長さんは鉄舟に頼まれ面倒をみることになったのです。この人は、後年愚庵と言い、正岡子規などと親交を結ぶようにたいへんな文学者となりますが、例えば、その万葉調の文章の素晴らしさに佐々木信綱さんなど激賞しておりますが、その彼が次郎長さんの許を去る時、次郎長さんの伝記を書いてゆくのです。たぶんに美化された伝記となるのです。 東海遊侠伝です。これを種本にして神田伯山?という講談師が、今はもうありませんが栄寿座という映画館で、次郎長外伝という話をされました。私ども玉川楼の前に巴川製紙さんがあるのですが、そこに勤めていた、後年広沢虎造となる方がこれを聞いて感激し、伯山の後を追って浪曲にしたと聞いております。 ここに真実とは少し違う海道一の大親分が誕生するのです。例えば、次郎長さんを知ってる人なら必ず知っている森の石松は実際にはいなかった等々。

”追分羊羹 "

清水市の追分と言う所に、”追分羊羹”と言う有名なお菓子を売っている店があります。竹皮にくるまれた蒸し羊羹でその素朴な味は、昔から多くの人に愛され,清水の銘菓として全国的に有名になりました。このお店に、鉄舟が次郎長さんに用を言いつけた手紙がさりげなく飾ってあります。大ご主人の松太郎さんは、清水の今昔についてよくご存知です。追分羊羹のお庭を拝見しながら、羊羹と清水のお茶を飲みながら、お話が聞けたら.。。。最高かと思います。

"清見寺と三保松原”

古い句に”春風や、三保の松原、清見寺”がありますが、この句からある政治家が,”春風や、三保の松原、一文字”と詠まれ、港の倉庫や東海道線の線路でその風情 が損なわれてはいますが、清見寺から見た三保はまさしく 一文字です。清見寺には、島崎藤村に縁の五百羅漢、高山樗牛、尾上柴舟の碑などありますが、ここから見た三保は 素晴らしい眺めでした。 三保の松原は清水の誇る景勝の地で、羽衣伝説で有名ですが、白砂を誇る松原が、最近波による侵食がはげしく、 このままでは、なくなってしまうと心配されています。みんなの努力でそんな事はないと願っていますが、もし清水へお出でになられましたら、見納めではないにしても、この三保の 松原に行ってみたら如何でしょう。 この松原に、 しゃれた和風のホテル、羽衣ホテルがあります。ここに泊まっておかみさんに羽衣伝説のお話をお聞きしながら、最近とみに美味しくなって有名になった地酒を酌み交わすと、やっぱりおかみは天女の子孫かと思います。

"シラスのこと”

桜海老の漁と時季がほぼ重なるのに、シラス漁があります。 ご存知のように、ここで申し上げるのは、いわゆるかたくち鰯の稚魚のことです。 このあたりのシラスは大変質がよく、 釜揚げシラスとして、ちりめんじゃことして、全国に送られています。昔は、その輸送方法、保存 手段の関係で、釜揚げシラスは東京方面に、ちりめんじゃこは関西方面に送られました。そしてそれがそれぞれの地方の好みとなるし、またそれぞれの地方の好みにあったわけです。 シラスの加工として、ほとんどの地方がどちらかしか作っていないようですが、静岡県はその地理的な事情もあって、 釜揚げシラスもちりめんじゃこも加工しているのです。清水へ来られたらこの両方のものをお土産にされたら如何でしょう。 しかし、せっかく清水に来られたのですから、お土産にはなりませんが、ぜひ生シラスを召し上がれることをおすすめします。 これだけはお土産にできません。 私ども 玉川楼のすぐ傍に、けっしてA級グルメとは申しませんが、金田食堂があります。小説家の村松友巳さんが大変お気に入りで、”巴 川”と言う小説の中で、金田食堂のおやじさんに生シラスのことを話させています。金田食堂は三千円もあれば食べて、飲んでいい気持ちになります。

”巴川と清水銀座”

金田食堂のところは、大正橋と言う橋がかかっており、そこから百メートルものぼらない内に柳橋、この際に玉川楼があるのですが、そこから巴川を二百メートルほど溯ると、徳川家康が東海道を 整備するにあたって、初めて架けた橋稚児橋があります。毎年七月十六日には灯篭流しが行われ、四千以上の灯篭が、願いと祖先供養をかねて流されます。そして、考えてみればたいした花火ではないかもしれませんが、 人口密集地としては盛大な花火が上げられます。巴川の東側にある、江尻の宿である清水銀座の熱心な お世話の賜物であります。 この通りには、寺尾さんと言う本陣がありました。今もお宅がありますが、古い記録によりますと 家 康手植えの松が二本あったのですが、残念ながら枯れてしまいました。今は、その縁とした訳ではないでしょうが、垣根越しに松が植えられているのが見えます。 また 銀座通りには 大ひさしやさんと言う旅館があります。大久保彦左衛門がよく泊まられ、ある時”おお久しいのう”と言った事からきています。 清水のイベントに七夕祭りがあります。これも清水銀座、駅前銀座の商店街の皆さんの手作りによるものです。その労力には感服いたします。おかげで、 仙台、平塚とで日本三大七夕飾りとさえ言われるようになりました。

"清水港まつり”

祭りと言えば、毎年八月の始めに清水のさつき通りを中心にくりひろげられる港祭りは、宇崎竜童と桜川ピン助による”みなとかっぽれ”の踊りで楽しい大騒ぎが見られます。 勿論、清水港では、色々な催しが開かれ、時には、日本中の帆船が集まり、一斉に帆をあげる光景は見ものです。 清水港では、清水観光汽船の帆船にいつでも乗ることが出来る筈です。清水にきて、時間に余裕がありましたら港湾巡りをされるのも一興かも。

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shimizu@tamagawa-rou.co.jp
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FAX:0543-66-9713

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