梶原景時は、源頼朝が兵をあげての、石橋山の戦いのとき敗れて、ふし木のなかに隠れていたのを、敵侍でありながら、承知して見逃し、その陰徳により頼朝が天下をとったとき重臣となり、梶原一族は権勢をふるったのですが、北条氏が実権をにぎるようになると、追われ子息家の子とともに京にむかう途中、この地の武士に攻められ、この地で命を終わるのです。寛政9年に刊された東海道名所図会に梶原景時墳についての記事がのっています。

"狐崎の東、岩原の左の方、梶原山にあり。ここに霊山寺とて、真言の浄刹あり。本尊を大内の観音とて、行基の作の七体観音の其一体なり。又険路を十七八町登れば、景時自殺場とて、五輪の石塔あり。又名馬摺墨馳来りて、其時馬の喰ひたる小篠とて、一町のあいだ、今に笹の葉半喰ひたるが如く生ず。この嶺より国中見えて、風景の地なり。又山中に摺墨馬蹄石、鬢水石などあり。山下に龍泉寺といふ毘沙門堂あり。ここに梶原が像、七人の牌あり。其外頼朝卿の室政子の持念仏の如意輪観音を本尊とす。"

ところで、龍泉寺もすでに廃寺となり、石塔も、矢崎山がけずられるにあたって現在のところ、北街道の谷川と言う小川のところ、ローソンのところを入ってちょっとのところに移されました。梶原堂としてまつられています。その観音さんなどは、鉄製の建物に納めれており、外から眺めることができます。地元の自治会の皆さんによって、永くまもられてきておりますが、忘れられた歴史上の人物としてでしょうか、ここを訪れる人もそう多くはないようです。

ひっそりとしてある石塔、また風情あるものです。

この他、東鑑の大意、東関紀行が載っていますので、紹介させていただきますが、大内の観音さんにも登りましたので、その写真を。木々に覆われた山道をのぼるのは、私にとっては、かなりきつく思いましたが、地元の方でしょうか、杖を用意してくださってありますので、とても助かりました。ツクツクボーシが鳴いていたり、木々の緑がさわやかでした。桜の木が沢山ありましたから、春はなおすばらしいことと思いました。

次に、東鑑の大意、東関紀行を紹介させていただきます。続く。。。


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