最近、私どものホームページをご覧くださる方が多くおられ、メールやらでお問い合わせ頂き、感謝しております。
マスコミの方々もご覧いただいてくださるのか、取材もして頂き赤面します。ありがたいことです。
ホームページを書く身にとっては、実にプレッシャーをうけ、もともと清水の小さなことを思いつくまま書いていたのが、少しぐらい体系的にとか、何か役にたつものとか考えてしまうと、非常に難しくなってしまいます。
清水港開港100周年を機に、街角博物館として、特にご自分のご商売にかかわりのあるものを、ご自分のところで公開していることなど、書かなければならないと思いつつ、私自身私もやりたいと思いつつも、見学に行ってないのでなんとも報告しようがない、話題もあるわけでして、桜が終わり、目に緑が沁みるこの素晴らしい季節,大型連休を迎えました。
私ども玉川楼、リバーサイドイン玉川は、例年暇なのですが、今年は多くのお客様をお迎えすることができうれしく思いました。有難いことでした。
お客様のかなりの方がホームページをご覧下さってお出でになったようですが、お客様がはじめに抱いてくださったイメージの通りにおもてなしができただろうか、と思うとまだまだ反省すべきところ多くあったと自戒しています。
 先日お泊りのお客様から、草薙方面のことをお尋ねされました。
考えてみれば、草薙神社を一度も紹介しておりませんでした。そこで、一時間ほど手がすきましたのでお参りしてきました。
大雑把に言って、JR東海道線を中にして、国道一号線の反対側に南幹線と呼んでいる道があります。私ども玉川楼からみれば、西というか、南というか、玄関を出て左手に進み、JRと静岡鉄道の二つの踏み切りを渡り、最初の信号のところがその南幹線です。清水市役所の前を静岡市内を結ぶ道です。この道を15分ほど車で進みますと、草薙地区に至ります。左手に大きな石の鳥居がありますので、左折して5〜6分進みますと草薙神社に着きます。

ところで、そうした広い道を通らないで旧東海道を行っても着きます。旧東海道は、私ども玉川楼、リバーサイドイン玉川の横を流れる巴川の対岸、清水銀座通り(パル通り)の江尻の宿から、上流の橋稚児橋(いま工事中ですが)渡り追分、上原、草薙に出ますが、これは、現在の一号線と南幹線の間を通ります。当然どちらも草薙に至りますが、その間には、もう殆ど忘れられたか、関心を惹くこともないいくつかのスポットがあります。
先ず、私ども玉川楼の前の通り、JRの踏み切りと静岡鉄道の踏み切りの間から静岡方面を眺めると、淡島神社の木が見えて、手前が低木に覆われた石垣があるのが判ります。




JR東海道線の踏み切り近くから見ると淡島神社のご神木が目立って見えます



静岡鉄道入江岡駅の跨線橋からみると木が生い茂っている。



入江岡駅のホームからですとよくわかる。



すぐ近くに淡島神社がある。この横の道が軽便の名残でしょうか


これは、今走っている静岡鉄道の前身の軽便鉄道の跡です。この軽便は清水から、淡島神社の近くを通り(そこは今道路のなっていますが)追分羊羹さんの近くで東海道に入り上原、静岡に至りました。軽便は力がないので坂になるとお客も降りて後ろから押したとか、よく父に聞かされたものでした。稚児橋を渡って二つ目に信号のところを左方面(昔は南小路とか言って久能山の方に通じてます)をしばらく行く、静岡鉄道入江岡駅のところに石垣があります。
ところで、この信号のところ(つまり、稚児橋を渡って二つ目に信号のところ)に”いちろんさん”と呼ぶ八百屋さんがありますが、ここに”いちろんさんのでっころぼう”と言う郷土人形”首人形”が江戸時代から伝えられています。
下清水のあたりには、源為朝がここから大島に流されたと言う伝説がありました。入江の住人市郎右衛門によって、この伝説にちなんで、力の強い為朝のように強くなるよう作ったものでした。人々は為朝に似せて作られた首人形を、月見里稲荷神社に願かけをしました。
夜泣きする子供に効くと言うことでなかなか評判で、代々作られ今もある信仰玩具です。ちょっと変わった人形ですが、見せていただくのも、又お買い求めされるのも一興かもしれません。又、”ちびまるこ”の作者さくらももこさんの家も八百屋さんでこの近くにありました。作品にこの辺のお店が実名で載っていますので、それを探すのも一つの楽しさです。
そう言えば、近くに法岸寺と言う浄土宗のお寺があります。ここには、朝顔日記の深雪の墓があります。傍にある真長薬局は古くからある薬屋さんで、米国のグラント大統領が(南北戦争の時北軍司令官で、1822-1885)が来日し、清見寺で月見をしようとしたとき、体をこわしここで薬を購入したとか。
江尻城の大手門の扉がある東明院、さつま芋を普及させた”チョウセン和尚”さんのいた慈雲寺もこのあたりにあります。慈雲寺には、巴川製紙所の門になっているような、駿府城の石垣の為の石、三石より小ぶりで八つ見つかってますので八石と言いますが、その石があります。
追分羊羹さんの前を過ぎ、大沢川の橋を渡りますと、現在押切から日の出まで通じる道路を工事しているところがありますが、そこをちょっと右に行くと、姥が池があります。
駿国雑志によりますと、”有度郡元追分村、海道の北松陰にあり。伝云。往昔郡家某の乳母、嬰児を抱て此所を過ぐ、時に児咳甚急也。其苦を見るに忍びず、乳母児を地上に居置て、池水を掬して興んとす。児咳に堪かね、池中に落入たり。乳母苦辛して共に池に入て死せり。今小児咳の病あれば、此池に祈、必験あり。云云。甲陽軍艦云。宇八原。云云。即此所にして姥原也。駿河染云。姥か池、江尻の手前(注 静岡側から見てです。)小吉田の先也。文禄二年二月八日、亀屋九左衛門が妻、嫉妬にて此池に身を投、今に霊魂残れり。云云。或云。平川地村の畑中にあり。方三間計りの盆池也。其傍に松榎の古木二株あり。亀氏の妻嫉妬深く、爰に身を投て空しくなる。人姥とよべは湧上る、姥甲斐なしといへば、弥高く
・・・泡を出す。云云。姥池の由来云。延暦年中、江尻の側に、金谷長者といふ農民あり。家富栄ふ。神仏に祈て男子を儲く。一歳疳咳流行す、時此小児も是を愁ふ。乳母歎て、此地辺の地蔵仏の石像に祈誓して、小児の命に代り、入水して死せり。是より小児の病とみに平快せり。今此池に祈て、疳咳の難を免る者多きは、此縁なり。・・・・・”



昔の写真をみたことがありますが、野原?に一本大きな木(松?)の下に祠がありました。
今は人家があって、近所の人達の憩いの場所の様です。池は小さく、にごっています。
この辺りは泥炭地の様で、メタンガスがぶくぶくと泡を噴いた訳です。
駿国雑志の別の項では温泉と言っています。


ここから、しばらく行くと、狐ヶ崎と言って静岡鉄道が経営されていた遊園地がありました。今ジャスコになって賑わっています。この辺りは清水の方から段々上がり勾配の坂になっていて、以前田圃があった時、ちょうど”田毎の月”のように晴れた日には、田圃毎に富士山が映って見えましたので、”田毎の富士”と言って旅人の目を楽しませてくれたそうですが、今は見ることができないのは、仕方がないこととは言え残念なことです。

草薙神社に行くつもりが、少し寄り道してしまいました。お十七夜さんと呼ばれる普茶料理のお寺、一里塚、首塚稲荷などありますが、”はしょって”草薙神社向かいます。
続く。。。


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