8月9日の静岡新聞の30面に、清水市袖師にある神明山古墳の記事が載っておりました。

神明山古墳の位置関係を説明いたしますが、東名高速清水インターをおりて、左 つまり東にでて信号二つ目を左折しますと庵原の町、ナショナルトレーニングセンター方面に向かいます。この辺りには多くの古墳があるようで、庵原(いほはら)の君とみられている三池平古墳の他に、神明山古墳が知られています。丁度、信号を左折しようとする右側に小高い山がありますが、これが神明山古墳です。袖師の地です。
個人的なことを交えてもうしわけありませんが、私は、袖師の生まれで、昔のことにもうなってしまいましたが、清水市に合併されるまでは、庵原郡袖師町嶺といいました。この古墳がこの辺りの嶺にあたるのでそういったのだろうと思いますが、その嶺に住むものにとって、神明山にある神明神社は氏神さまでした。
袖師小学校が、今は東名への取り付け道路が通って道をへだててのことになりますが、500メートル位かな、南にあって、小学生の頃はよく道草したものでした。
8月1日だったとおもうのですが、地元の青年団の奉納相撲があって、見に行くのが楽しみでした。
現在のように、楽しみが溢れているのと違い、祭りは楽しく待ちどうしいものでした。
神明神社のすぐ近くに、今も営業されている嶺温泉さんがあって、この辺りは小川が流れていて、水草が一杯のとても澄んでいてきれいだったのを覚えています。夏になると ホタルが飛び交って、よく兄たちと採りに行ったものでした。
ホタル には、源氏蛍と平家蛍があって、当時は大きな源氏蛍は滅多にいなくて、小さな平家蛍ばかりでした。
私にとって、懐かしい思い出の土地です。

私にとって、思い出のあるところですが、この日の静岡新聞に”県内最古の前方後円墳か”ということで神明神社、神明山一号墳の記事が載っていました。
子供の頃、神明さんの亀甲石の話とか、隣のトーネンさんのなかにある石棺など見せてもらったこともあり、ここが古墳であって、この山の大きさからみても、かなりの豪族の墓であることは知っていましたが、県内最古の前方後円墳であることは知りませんでした。

少し、長いけれど、静岡新聞から引用させて頂きますと、(最近の静岡新聞は、地元に住む者にとって非常に面白く、参考になります。)
”静岡大が発掘調査を進めている清水市袖師町の神明山一号墳(・・・長さ70メートル)がその形状や出土品などから、これまで県内最古とされていた磐田市の新豊院山古墳(4世紀前期後半)より以前の前方後円墳である可能性が強まっている。”として”東日本では数少ない最古段階の前方後円墳であり””東日本の古墳の形成過程を理解する上で極めて貴重な”と言っています。”・・・神明山古墳でも調査を行った結果、4世紀前期前半の前方後円墳の特徴とされる三味線のバチ型の前方部を確認した。また、同時期の古墳であることを裏付ける古式土師器・・・なども多数出土・・・。””(静大)滝沢助教授や清水市教委などによると、神明山一号墳は初現期(4世紀前期前半)のヤマト王権の大王墳とされている奈良県の箸墓古墳の4分の1の規格で、形状も酷似していることから当時の清水、静岡一帯を治めていた蘆原(いほはら)の国が、ヤマト王権からかなり重要視されていたあかしで、東国支配に向けた最前線としての位置付けがあったのではないかと推測している。”と言うわけです。


この神明山古墳から山側のそれほど遠くないところには、尾羽の廃寺とか、草ケ谷にあって遺跡として知られている臨済宗のお寺である大乗寺、ここは、旧国造の舘のあとで、のち、ここに国府がおかれたと考えられて、大乗は大庁が変わったものといわれているそうですが、その大乗寺の裏手の山 庵原城祉とか、東久佐奈岐神社が散在している訳で、以前書いたようにこの辺は興味尽きないところです。



サッカーのナショナルトレーニングセンターからも出来ますが、その近くの三池平古墳からは、清水が一望出来ます。ここから見た神明山古墳が下の写真です。
奈良県のような遺跡が多いところの方には、それほどのことではないかも知れませんが、古墳、縁のものが近くに散在しているのは珍しく興味深いものと思います。散歩に最適ではないでしょうか。




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