ちょっと前の巴川


私どもの町、清水出身の著名な作家であられる村松友視さんの小説”巴川”(中央公論社)の書き出しは、
”羽衣橋、港橋、万世橋、八千代橋、富士見橋、千歳橋、大正橋、柳橋、稚児橋、巴川橋、久保橋、渋川橋、能島橋、堀込橋・・・・”で始まりますが、さすが 地元出身、さらっと巴川に架かっている橋の名が出てきます。私など巴川の川筋に住んでいながら、これら全て渡った事があったけか ないなー 久保橋は本当に名も知らなかった 私はそんな いいかげんな人間ですが。
その”巴川”に巴川について
”巴川は、歴史的にはこのあたり一帯にとっての、きわめて重要な水路の役割を果たしてきた。静岡の駿府城築城のための伊豆石、駿府城から江戸への米や物資など、すべて巴川をつかって運ばれた。かっては、いまからは想像もつかぬほど川幅が広く、安倍川の支流である北川、横内川が流れ込んで、かなり水量の多い川だった。武田信玄が江尻を手中にした永禄年間、巴川橋から稚児橋付近の巴川は、現在の四、五倍もの川幅で蛇行していたという。巴川に初めて橋が架けられたのは慶長十二年、東海道が通過する稚児橋だった。水量の多い巴川を旅人が渡るのは危険だというので、駿河でも早く架けられた橋のひとつだと言われる。・・・”
この小説が出た時、はじめはタイトルにひかれて読んだのですが、筋道を別にして考えてはいけませんが、巴川のことが、とてもよく描かれていて実に興味深く、巴川に関心のある方には、必見です。

さて 前回に引き続き”入江”から引用(と言うよりも丸写しに近いのですが)します。
まず、旧巴川についてです。

巴川全体につぃては、巴川物語と言う詳しいホームページ(http://www2.tokai.or.jp/marco/tomoe/tomoe.htm)がありますが、私ども玉川楼、清水市の巴川についての記事ですので引用いたします。

”{清水 注{}文は私 }市内の中央部をゆるやかに流れる巴川は、現在はほぼ直線になっていますが、昔はその名の通り巴状に蛇行していました。江尻小学校から小芝神社にかけての区域に築城された小芝城の図{を見ますと、}巴川を堀として利用していたようです。
 この蛇行していた巴川は、{古くから治水上問題があって、たびたびの改修工事がされましたが}明治39年から大正元年にかけての改修工事で、今の姿になりましたが、駿河銀行入江支店{今はありません}にかかげられてい{た}大正4年の測図では、両岸のところどころに、蛇行した痕跡の残っているのが分かります。
 入江地区で現在でも残っているのは、東大曲の坂政合板の貯木場になっているところと、北脇新田から新幹線をくぐって、渋川三号公園の裏で暗渠となって巴川にながれこむ幅ニメートルほどのドブが旧巴川の名残です。そこでは、コンクリートの護岸壁の色が、他の部分より白っぽくなっていますが、これが巴川に注ぐ出口の跡です。
 面白いことに、この巴川跡には、それぞれ名前がついていました。坂政合板貯木場のあたりはカニダ(蟹田)と呼ばれ、今でも東大曲町1-6の辺は、春から梅雨時にかけて小さな蟹がいずこからとなくはい出て来ます。

{私どもホテルでも、よく廊下に蟹が出て吃驚することが度々です。巴川を実に上手に利用した坂政合板の貯木場には、満潮時を見計らって、清水港に下ろされた材木を筏に組んで、巴川を上って運び込まれます。”市内の川を筏が通る” 風物詩です。}

 永楽町のグランド展示場から、以前に渋川橋の近くにあったガス会社の所を流れていたのはヤナギドイ(柳樋)と呼び、北脇新田にかけてはゼンザブチ(善左渕)、更に能島の所ではヤッチャンドンブチと呼んでいたそうです。
 昔は蛇行していた巴川をはさんで、江尻方面は庵原郡に、入江町方面は安倍郡に分かれていましたから、{現在の巴川から考えれば、不思議と思われる}ゼンザブチのあたりは庵原郡{で、}庵原郡飯田村字高橋の土地{と言う訳}でした。”

現在川岸町と言っているところがこの地域なんでしょうか。高橋町は巴川の両岸に存在することになりました。そんなこと思いながら巴川縁を散策すると、健康にもいいし、頭の中はタイムスリップして感慨深く、ありふれた景色が格別な景色になるのです。






坂政合板の貯木場は国道一号線のすぐ上手にあります。いつでも白鷺などが羽を休めています。


ところで、私どものところの橋 柳橋の一つ上流の橋 稚児橋は川幅拡張と橋桁改修に伴い新しく架け替えするために、長らく工事が行われ交通止めになっておりましたが、ようやく完成10月4日開通式が挙行されました。少し太鼓橋になっている新しい橋は真中に踊り場?があって洒落た橋になったようです。10月7日には、稚児橋にちなんで99人?のかわいいお子さんによるお稚児さん行列がおこなわれ完成を祝うことになっております。この完成によって、清水銀座商店街と入江商店街が、長らく分断されていたのが開通によってドッキングした訳です。嬉しいことです。






稚児橋のところは川幅が狭くなっていて、橋げたも治水上問題があって
少し太鼓橋で、幅も広くなって完成しました。河童の像は前の橋のもの、
すっきりした橋になりました。


”入江”からはもっと引用したいと思いますが、後ほどにして、今回はこれまで。

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