雪で富士か 不盡(ふじ)にて雪か 不二の雪         (上島鬼貫)
 東海道 のこらず梅に なりにけり                (夏目成美)


平成14年になって、もう一月も過ぎ、節分も経て、毎年一月初めから咲き始めた私ども玉川楼の庭の早咲き桜も、散りはじめ、別の河津の桜が咲く今日まで、この項を書くことが出来ず申し訳なく思っています(ちょっと、うぬぼれかな?)。




私ども玉川楼の、ちょっとした改装、堀炬燵の部屋を作ったことやら、年末年始はいくら景気が悪いとは言え、お客様がたのご贔屓のお陰でなにやかや忙しく有り難く、こちらの方はちょっと一休みと言うところでした。
ワールドカップももうすぐ、清水も正式にロシアのチームが来られることになって、サッカー関係者一同、そして私どもも ほっと と言うところです。

ところで、先日私どものホテル、リバーサイドイン玉川にご宿泊のお客様より、名前の由来を尋ねられました。よくよく考えてみるとホームページで一度も訳を書いたことがありませんので、ここで勝手に宣伝させて頂きますが、ホテルを建てました時、私どもの中に井上陽水のファンがいたこと、そして当時私の娘が、UCリバーサイド校にて勉強しておりましたのと、巴川の辺とを考え名付けました。極々小さなホテルですので、ホテルと名付けるにはおこがましく、旅籠のイメージで ”INN" としました。小さなホテルにしましたのは、第一に資金面であることは言うまでもありませんが、それ以上に”安全”、安心してお休みになれるようにするには、又出来る限り気配り、気働きできるにはこれ以上の大きさのホテルは無理と考えました。、ホテル業については西も東も分からぬ私どもにとって、精一杯のことでした。
素人の始めたホテルでしたので、慣れるまでは宣伝をしないようにしておりましたが、井上陽水さんの曲のお陰もあったのでしょうか、お客様も増え、お泊りのお客様は常連様が殆どの、望外の稼働率で本当に有り難く感謝しております。有り難いことです。
 玉川楼の方は、江尻の宿にて幕末に創業させていただきましたが、昭和六年でしたか、柳橋が架かって現在地に移転いたしました。
現在地には、昔細い農道が通っていたそうで、伝えられるところでは”清水次郎長”が江尻の宿でお酒を飲んでいい気持ちになって自宅に戻ろうとした時、現在地の辺りで、江尻の宿の若い衆に襲われて”半殺し”?の目にあったそうで、以来次郎長は決してお酒を飲まなかったそうですし、独りで歩かなかったそうです。
柳橋より一つ上の橋、稚児橋は、旧東海道筋で巴川では最も古い橋ですが、この際に、清水で最も古い料理店”楠楼”さんがあります。
稚児橋が架け替えられて、休業しておりましたがこの秋、再開されます。稚児橋際に置かれていた”河童の腰掛石”は楠さん内に置かれることと思いますので、食事かたがたご覧なられるのをおすすめいたします。

先日、漫然と静岡新聞をみたところ、私どもからすると川向こうにある”大ひさし屋”さんの記事が載っていました。大ひさし屋さんは、江尻の宿で脇本陣を勤められて、現在に至っている名門ですが、ここには、多くの名士が泊まられたようです。正岡子規も興津の清見寺に菊を見に来られたとか。
私ども地元の者にとって、興津が菊で有名とは知りませんでした。
今、興津で菊を育てようとしているとか。楽しみです。
正岡子規は、蕪村の俳句に惹かれたのでしょうか。

 白菊の 一もと寒し 清見寺      (几薫丙申之句帖)

 しら菊や 清見が寺の 庭の前    (夜半叟句集) 


新しい年を迎えて、又書き始めさせて頂く、”きっかけ”として、乱文ながら一筆。



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