7月16日は、恒例の灯篭流しです。私ども玉川楼の際辺りが、清水で最も人出のあるところです。最近は花火をしませんので、以前ほどとは言えませんが、川向こうの清水銀座商店街の皆様のご尽力で種々な催しをいたしますので、浴衣姿の二人連れなど集まります。
今年は、水の流れが適当で、近年になく風情ある灯篭流しでした。家内安全、商売繁昌、病気平癒など思い思いの願いを書いて、思いを込めて流します。
以前と少し違っているのは、その灯篭に、大瀬(尾瀬)大明神と書かれた灯篭が少なくなったことです。
以前は、この灯篭が、沼津の大瀬神社まで流れ着けば願いが叶うとして、必ず書くものとしたのですが、川や海を汚さない為に下手でこの灯篭は回収されますので、絶対に流れ着くことはない訳で、このことはみんな知っていることですので、書かなくなったと言うわけですか。清水銀座商店街が作ってくださった特設ステージで、今年は童謡が演奏されました。
久しぶりに聞く童謡に、心洗われる気になったのは私独りでなかったようで、とても好評でした。”赤い靴”は、殆どの人がご存知かと思うほど有名ですが、このモデルが実は清水の人で、生まれてから丁度100年になるのに因んで、今年は童謡が演奏されたのでした。



この灯篭流しのことは、翌日の各新聞に載せられました。”童謡「赤い靴」のモデルとされる岩崎きみちゃんの生まれ故郷である清水市の巴川で16日夜、同市ときみちゃんが亡くなった地である東京都・麻布の人たちの手で。短い生涯を終えた彼女をしのぶ灯篭が流された”と。

ところで、岩崎きみちゃんは、明治45年清水市宮加三、日本平のふもとにあたるところ不二見村ですが、そこで生まれました。故あって、きみちゃんはお母さんと北海道に渡り、開拓に従事されたのですが、開拓は今でも大変なのに、まして明治の世ですから生活環境は厳しく、やむなく、きみちゃんの将来のことを思って、函館の米国人宣教師に養女として預けたのでした。3歳でした。この宣教師が米国に帰るとき、きみちゃんは結核を患い、長い船旅は無理ということで東京麻布の教会に預けられ、きみちゃんはここで淋しく9歳という短い一生を終えたのでした。
ところで、北海道に渡ったきみちゃんのお母さんは、そこで鈴木某さんと結婚されるのですが、開拓に挫折?しご主人は小さな新聞社に勤めることになります。この新聞社に野口雨情がおられ、この経緯を知り、”赤い靴”を書いたのでした。
そうしたことで、赤い靴の記念碑モニュメントは、北海道と、横浜の山下公園、麻布と清水の日本平にあります。




日本平には 赤い靴の碑の他に、ちゃっきり節記念碑や万葉の碑などあります。



とても風情ある一夜でした。

ところで話はかわりますが、私ども玉川楼の川向こうの、清水銀座商店街にミヤモトと額縁屋さんがあります。踏み切りの際ですのですぐ分かるとおもいますが、そのお店のホームページに、禅叢寺さんの紹介があります。とてもよく紹介されていますので、ぜひご覧ください。
禅叢寺さんは臨済宗のお寺です。観光寺院ではありませんがちょっと訪れる価値があるかもしれません。

お問い合わせ
TEL:0543-66-1284
FAX:0543-66-9713

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