一昨日、ちょっと時間がありましたので、興津の座漁荘が復元されたとのことで、見学に行って参りました。
座漁荘は、戦前日本をリードした最後の元老である西園寺公望の別邸ですが、戦後岐阜県犬山市の明治村に移築され、私も、もう何十年前になりますが、明治村見学(遊び!)に行ったことがあります。その時座漁荘もありましたが、興津の西園寺さん(地元ではそう呼んでいたと思います)の別荘がある位の認識で、たしかあまり興味なく前をさあーっと通りすぎただけでした。最近になって清水に縁のあることに関心を持ち始めると、座漁荘が興津に残っていたらよかったのに と思うようになってきました。
今回、復元されると言うことで、嬉しく見に行った訳です。24日に式典があり、一般公開になる訳で、その前に中を拝見することはできませんので、廻からその姿を見てきました。
明治村ではそんな印象深くなかったのですが、非常に美しく再現され、清水の見所として欠かせないものとなりました。
機会がございましたら是非ご見学を!無料だそうです。




国道一号線沿い、清水駅の方からですと”はたうち川”を過ぎるとすぐのところ。
公民館の横にあります。公開前でしたので柵がして中に入れない。
帰ろうと思っていましたとき、近所の人が横の道から見れるよと親切に
教えてくださり、おかげで様子を覗えありがたかったです。
以下の写真は横から垣根越しに写したものです。



公民館の横の小路を入ると、座漁荘の扁額を掲げた玄関が見えます。



京風のたたずまいですね。



居間です。西園寺さんは昭和15年(1940)92歳でなくなられました。



ここから庭越しに興津の海、三保を眺められていたのでしょう。



西園寺さんが居られたころと全く同じような庭園かどうかはしりませんが
築山の庭園がありました。


昭和37年、戸田書店から発行された鈴木繁三著”わが郷土清水”に西園寺公望の項があります。
「明治22年7月、大正天皇が皇太子であられたころ、お体が弱かったので、興津海岸で海水浴あそばされたが、 これはわが国の海水浴史上、最大の記念としてよかろう。当時まだ海水浴がほとんどなされていなかったさいだけに、いっそう、その意義が深い。
こういう由緒もあってか、西園寺公望公、伊藤博精公(博文公の孫)井上三郎氏(馨公の孫)松方正義公など、明治・大正・昭和三代のわたる、わが国の元老・名士が興津にすまいした。
わけて西園寺公は大正8年(1919)から 昭和15年11月24日、92才の高齢でこの世を去られるまで、実に22年の長い年月を座漁荘に住み、その間、政界高官の往来がしげく、”西園寺詣で”という言葉さえうまれ、”西園寺の興津か、興津の西園寺”かと天下にその名をうたわれた・・」

興津宿の脇本陣から旅館に転業?した”水口屋”には政界高官が”西園寺詣で”のためもあって逗留されました。
座漁荘が清見寺をはさんで西側にあり、水口屋は東側に位置しますが、昭和天皇陛下もお泊りになられたこの名門旅館も時の流れにさからえずでしょうか 廃業されてしまわれました。現在、その歴史を惜しんで鈴与鰍ウんが研修センターとしてその面影を残し守っています。
ここには水口屋さんの歴史を刻んだ多くの書、備品が展示されていますから、ご覧になられるといいと思います。


4月24日、座漁荘が公開され、式典が開かれます。お聞きすることには、立命館大学の同窓会がこの日座漁荘に集まり、行われるそうです。
何故だろう?なんと西園寺さんと立命館とは切っても切れない関係があることを知りびっくりしました。ホームページを見て知りました。
ヤフーで”西園寺公望と立命館”と検索して見てください。西園寺さんがもっと判ります。

落ち着いたら中を見学して報告できたらしたいと思います。

他事ですが、今日新茶の取引がありました。清水の両河内のお茶が、1キロ¥88.000で取引されたとのこと。100グラム¥8,800、10グラム¥880、しかもこれは卸価格でしょうから、お茶一碗¥500では飲めないですね!
清水のお茶は日本一ですね!


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