玉川楼の部屋と庭

玉川楼は、江戸時代末にうなぎやとして開業されたそうです。当時の清水は、江尻と言って、東海道の宿として、大変賑わっていたそうです。現在清水銀座という、昔も今も清水の繁華街であった、江尻の宿のほぼ中心に玉川はありました。当時、清水には、”玉川”と言う地酒があって、玉川楼の初代は、その名を頂いて、店の名前にしたそうです。清水には、追分羊羹という銘菓がありますが、玉川楼はその府川家の分かれです。5代目の耕作は、大正から昭和の初めでしたが、当時静岡で、料亭として、全国に鳴り響いていた”佐乃春”さんで修行しました。そこで、名人と言われた”渋谷”先生にも指導をうけたそうです。その頃の清水では、うなぎと言えば、”玉川”と”柳川”の二軒が有名だったそうです。残念ながら”柳川”さんはおやめになり、”玉川”もまた、創業以来代々子供にめぐまれぬために、うなぎのたたりと考えたわけではないでしょうが、”うなぎや”をやめ、普通の料理屋になりました。そして、清水では最も早く、河豚も扱うようになりました。今では、うなぎやとしての”玉川”も、”柳川”さんも、言わば伝説の店になりました。”柳川”さんのご主人は、後に東宮御所の料理長になられて、耕作もよく御所に会いにいったそうです。昭和の初期に、巴川の対岸に“料亭玉川楼”をつくり、移転しました。当時の玉川楼は、絵葉書になっています。先年、”羽衣出版”から”静岡県の絵葉書”としてだされているのを教えて頂き、はじめて知りました。戦時中は、料理屋だけでは許されず、旅館を兼ねた経営になりました。蛇足ながら申しそえさせていただきますが、当時は、酒は統制で飲む本数が割り当てられていたそうで、お客様は、一品新しい料理をとらなければ、酒も追加できなかったそうで、酒を飲みたいがために、食べたくもない料理を注文したんだそうです。お蔭様で、みなさまにご贔屓たまわって、現在に至りました。平成になって、ビジネスホテルとして、川沿いにリバーサイドイン玉川を開業させていただきました。

玉川楼の部屋や庭を紹介させていただきます。

玉川楼の玄関を入ると、ホールの横に庭があります。稲荷神社と、諸仏をまつってある持仏堂があります。手前に、かなり大きな桜がありますが、これは、熱海の市長さんよりいただいた桜で、1月の中旬以降2月の初旬まで満開になって、長く花を楽しむことができます。

 

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